竹林クロワッサン

創作三国志小説中心に活動中のサークル「竹林クロワッサン」に関する告知、ぼやきなど。

『三国志 巻三』の犠牲になった名もなき登場人物

百年にわたる乱世の興亡史を取り扱う三国志

 

中華全土を巻き込んだ大乱世だけあって、登場人物が非常に多いです。
しかも主要キャラから一騎打ちでバッサリ斬られるだけのやられ役まで、物語における比重の置き方も非常に多彩。

 

当サークルでは、「登場人物が多すぎて覚えにくいなら最初から名前を出さなくていいじゃない」という大雑把な方針をとっております。
三国志 巻三』にて名無しの権兵衛となってしまった方々に、この場を借りてお詫び申し上げたいと思います。

 

 

  • 蛇紋城郭

 

呂布長安から追い出した董卓配下:李傕と郭汜とその愉快な仲間たち。実質的に賈詡ひとりの功績かもしれませんね。

 

豫州にいた呂布の友人:張楊。前巻で変わった友人呼ばわりされた人と同一人物。なおこの方は本作品で以後も何度か出番があるのですが、やはり名前は出しておりません。ごめん。

 

袁紹配下の青州刺史:臧洪。後で一度だけ名前が出てくるだけの御役目です。張邈の弟の張超に取り立てられて以来、統治と軍事の両方で際立った活躍をした人。その後の臧洪と張超の行く末についてはノーコメント。

 

陶謙にもののついでに斬られた盗賊:闕宣。下邳周辺を支配下に置き、時代を先駆けて皇帝僭称してしまった人。皇帝即位を早まるのは危ないと、彼も袁術も教えてくれますね。

 

陶謙に薄遇された配下:趙昱。前巻でも名無しとして登場していました。陶謙に捕らえられた張昭の釈放を請うたりした不遇の名士。彼はこのすぐ後に名前を引っ提げて登場しますが、本当にもうごめんなさい。

 

陶謙に厚遇された配下:曹宏。正史三国志では、曹操の敵対者であった陶謙は過度に誹謗されがちです。陶謙の真の人柄は歴史の闇の中。

 

間諜と疑われて拷問にかけられた孫策配下:呂範。前巻で顔を出したきりの扱いとなってしまいました。ごめんなさい。

 

 

  • 雪中の大幹

 

張紘の故事に出てくる古代の名君:周の文王(BD1152~BD1056)。ちなみに名言の発言者は太公望三国志関係ありません。

 

孫堅の直下にあった古参:黄蓋韓当も含まれているようだが、ここで名前を出せないのは孫呉の人材過多が悪いです。

 

袁紹の悪意なき行動により死に追いやられた者:韓馥。詳しくは前巻をご参照ください。

 

  • うつろう天意

 

劉協の生母:王美人。外戚としての立場に危機感を覚えた何皇后により毒殺された模様。何皇后は王美人の妊娠中から何度も毒を盛ろうとしたらしく、むしろ劉協はよく生まれてこられたものです。

 

劉協の父、異母兄:劉宏(霊帝)、劉弁。もはや彼らを思い返すのは劉協ぐらいという酷いありさま。

 

李傕が指す逆賊:長安攻撃時に王允の他、种拂、魯旭、周奐、崔烈、王頎などが犠牲になったようです。以後も涼州軍閥は略奪三昧だったので、長安付近の人口が激減するほどだったとか。こいつら加減を知らんのか?

 

劉虞死後に蜂起した軍勢:劉虞の子の劉和、劉虞配下の鮮于輔、鮮于銀、斉周、烏丸族の峭王など。劉和と言えば前巻で袁術に抑留されてましたが、隙を窺って脱出に成功しています。ただその後、今度は袁紹によって引き留められたのがあまりに不憫。

 

潞北で斬られた公孫瓚配下:鄒丹。公孫瓚により漁陽太守に任じられていたこと以外は不明。彼もよくある「死んだことしか記録されない人物」のひとりです。

 

孫策と友好的だった袁術配下:橋蕤、張勲。乱世から早めに脱落してしまった袁術勢力は記録が少ないのですが、その中でも大物っぽいふたりです。後世の創作では小物将軍として愛されています。

 

九江太守に任命された別の配下:陳紀。正史ではこれ以外に記録がありません。演義では呂布軍に破れたり曹操軍に破れたりと、やられ役として出番が増えています。

 

呉郡へ逃れた陸康一族:陸議(陸遜)、陸績など。のちに孫策に帰順するわけですが、彼らにとって孫策は一族の仇でもあるという複雑な関係。『真・三國無双8』で陸遜孫権に向かって一族再興という台詞を吐く度、あまりの不謹慎さに笑ってしまうのがつらいです。

 

劉岱に殺害された反董卓連合メンバー:橋瑁。反董卓連合蜂起の檄文を書いた人。殺された理由には「劉岱と不仲だった」としか記載がありません。さすが乱世。

 

前任の揚州刺史:陳温。曹操が兵を集めに揚州へ来た際、丹陽兵を与えるなどの支援をしています。匡亭の戦いでたまたま曹操に敗れた袁術が揚州に逃げてきたのは、不幸としか言いようがない。

 

孫策の親友の叔父:周尚。正直なところ周尚がどのようないきさつで丹陽太守に任命されたのか分からないのですが、丹陽太守はこの頃からどんどん増殖していって、もうカオス。

 

廬江太守に任命された別の配下:劉勲。袁術の故吏。かねてから曹操とも親交があり、袁術没落後は紆余曲折を経て曹操に鞍替えした模様。没落ってつらい。

 

  • 無形の秤

 

唐突に一人称化するパートの主と叔父と兄:察してください。

 

袁紹から曹操への援軍:この中に朱霊も混じっています。他の部将が袁紹の下へ帰還する中、朱霊は曹操をとても慕って居残ったとか。ただし曹操にはなんとなく嫌われてしまった。なぜだ。

 

袁術配下の豫州刺史:孫賁孫堅の甥で孫策の従兄。やはり前巻と同じく呉景とセットで動いているので、ほぼすべて呉景に任せて彼を抹消してしまいました。ごめんなさい。

 

東阿県令:棗祗。のちに韓浩とともに屯田制を曹操に進言する人。この時の東阿死守といい、屯田制といい、曹操勢力の興隆に並みならぬ功績を上げているわけで、その割には扱いが地味な気がする。まさに縁の下の力持ち。

 

  • 地平線が蠢く

 

曹操を助けて馬に乗せた配下:楼異。この場面以外に記録なし。曹操ってば何度も馬から落ちたり馬を譲られたりしているね?

 

陶謙の実の息子:陶商、陶応。父の死後も仕官しなかったとのことで、隠遁生活でもしてたのかもと想像をかき立てられます。少なくとも拙作の彼らは隠遁してそう。

 

虐殺時に徐州から逃げた名士:張紘の他、張昭、厳畯、歩隲、あと(お察しください)など。彼らののちの活躍を見ると、曹操の汚点として語られる徐州大虐殺は、人材流出および敵対の意味合いのほうが致命的な気もします。

 

  • 江東呉会に興あり

 

朱治の養子:朱然。元は朱治の甥だったものの、孫策の仲立ちによって朱治の養子になりました。ちなみにこの時の朱然は十四歳です。お酒は法律と節度をきちんと守って楽しみましょう。

 

孫策挙兵時の仲間たち:呂蒙、蒋欽、周泰、陳武、淩操など。孫呉の基幹を担う猛将。この時点でも豪華なメンツですが、さらに江東制圧の過程でどんどん仲間が増えていくので手に負えない

 

偽報にかかった笮融配下:于茲。配下に追撃させて自身は出陣しないのがまたうちの笮融らしいかなと思ったんですが、ここ以外に出番はなさそうなので削除。少し後悔しています。

 

  • 都鄙の悼歌

 

馬騰に呼応した群臣:馬宇、种邵、杜稟、劉範など。劉範は益州牧の劉焉の長子で劉璋の兄ですね。詳しくは「漂源抄」をどうぞ。

 

李傕の甥:李利。韓遂は同郷出身ということで樊稠に会談を申し入れ、仲良く語らってから停戦したと『九州春秋』にあります。韓遂が敵対者と親密そうにしていたので内通の疑いをかけられたって、他のどこかでも見た流れだね?

 

李傕が指す逆賊:朱儁黄巾の乱鎮圧など数々の功を上げた名臣。反董卓連合とは別に董卓へ反旗を翻し、李傕とも交戦したのですが、董卓死後は「李傕たちにはろくな知恵もないだろう」と長安に出仕して太尉に取り立てられた模様。朱儁よ、知恵だけでなく倫理も足りないのだよこいつらには……。

 

停戦を試みた朝臣楊彪、張喜、そして上記の朱儁。郭汜は講和を聞き入れるどころか、逆に公卿を人質にとるというカオスっぷり。捕らわれた朱儁が憤死するなど朝廷の重臣にも犠牲者が出ます。本当なんなのこれ。

 

李傕と結んだ白波衆:楊奉、宋果など。楊奉と言えばのちの魏の宿将である徐晃の主君ですが、徐晃がどのような経緯で楊奉に仕えたのかは不明。わりと若い頃はヒャッハーしてたんだろうか。

 

呂布に反抗した兗州の豪族:李進。おそらく李乾や李典と同じ一族の人。李乾は曹操麾下の有力者で、張邈の造反に従わなかったため呂布配下に殺害されています。その恨みもあるのでしょうが、呂布の行軍を阻むとは李進もかなりの猛者です。

 

夏侯淵の姪:一説によれば、のちに張飛の妻になったとかなんとか。定軍山で夏侯淵が戦死した際に、張飛の妻が手厚く埋葬するよう願い出たと『魏略』にあるだけで、根拠は特にありません。つまり浪漫。

 

 

  • 天子奉戴

 

華陰にいた涼州軍閥:段煨。長安の連中と違って彼はまともな統治を施していました。劉協一行に物資を提供するなど善良なふるまいをする一方、自分を頼ってきた賈詡を非常に警戒していたりします。まあ、人を疑わなきゃ生きられない乱世ですから。

 

善意には裏があると血迷った将:楊定。元は董卓配下。以前から段煨とは不仲であったようで、段煨に造反の意図ありと誣告してその陣営を攻撃。十日余りの戦闘をしているうちに李傕・郭汜が追撃してくるという、これまたひどいカオスっぷり。進退窮した楊定は荊州に逃亡し、以降の消息は不明です。

 

先の戦いで犠牲になった重臣:士孫瑞、鄧泉、宣播、苗祀、魏桀、朱展、沮雋(または沮俊)。士孫瑞と言えば董卓暗殺を王允と共謀した人ですね。沮雋は負傷して李傕に追い詰められても非道を罵って臣下の態度を貫いた剛直の士。ともかく悲惨。

 

弘農の地理に通じた者:楊彪、劉艾。楊彪董卓の遷都に反対して罷免になり、李傕の説得に赴いて殺されかけ、さらにこの修羅場を生き抜いた凄まじい経歴の持ち主ということになります。なお楊彪の子は鶏肋で有名な楊脩。

 

姿の見えなくなった幾人かの重臣:この戦闘で田芬、張義が犠牲になったとのこと。悲惨の一言。

 

黄河北岸で待っていた白波衆:李楽、そして(一応)(かろうじて)白波衆ではありませんが張楊張楊は先の「豫州にいた呂布の友人」と同一人物。颯爽と食料を持って駆けつけ、その功により安国将軍に任命され、劉協を洛陽へ護衛しようとするのですが諸将に反対されたので颯爽と領地へ帰っていきます。なんだこの人。

 

豫州に進出した袁術配下:袁嗣。曹操に敗れて降伏したとあるだけで、袁術の同族かも不明です。史書の上ですらモブ扱い。

 

汝南・潁川の黄巾残党:何儀、劉辟、黄邵、何曼。なお斬られたのは劉辟と黄邵ですが、劉辟はこの4年後に劉備と組んで汝南で反乱を起こしたともあります。誤表記か、同姓同名の別人か。

 

洛陽から離れた諸将:楊奉、そしてまたまた登場の張楊。安邑からの途上で劉協一行が窮したと聞いた張楊は、颯爽と食料を持って駆けつけ、洛陽の「楊安殿」なる宮殿に劉協を迎えます。そして「俺は外の守備やってくる」と洛陽から颯爽と立ち去ります。なんだこの人。格好いいね?

 

洛陽外に駐屯して動かない白波衆:楊奉曹操楊奉の兵が精強であるのを警戒したそうですが、配下の董昭は「許に遷都する際、楊奉には後でそっちに帝を連れていくと約束しておけば大丈夫です。奴は賢くないのでまず騙せます」と献策。楊奉はその策に掛かって駐屯地を離れず、曹操の劉協庇護を許してしまうのでした。

 

  • 抄話 縁辺抄

 

魯の佞臣:季孫宿。なお主君は魯の第23代昭公。魯には三桓氏という有力家系があって、季孫氏はそのひとつだったらしいのですが、とにかく三国志関係ないです。

 

  • 抄話 漂源抄

 

劉焉に反旗を翻した官吏:任岐、賈龍。賈龍はこれ以前の益州の反乱鎮圧に奔走した人です。まさに煮られた走狗。

 

益州にて迎えられた劉瑁正室呉懿の妹。208年以降に劉瑁が病死したため、のちに劉備の皇后となります。なお、劉備は呉氏の前夫が同姓であることからこの婚姻にためらいを見せたそうですが、法正が故事を引用して説得します。それが適切か否かはともかく、法正が礼法について説くってのはどうなのよ?

 

劉焉に粛清された豪族:王咸、李権など。別の罪にかこつけて殺害されたとあるだけで、詳細な経緯は不明。劉焉もなかなかの恐怖政治を敷いたものです。

 

張魯に騙し討ちされた盟友:張脩。劉焉の命により張魯とともに漢中を攻撃するのですが、その軍勢に目を付けた張魯に殺害された模様。乱世の習いとは言え、張魯もなかなかの強者です。