『三国志 巻二』の内容に関する誤りについて
さっそくですが、お詫びいたします。
いくら創作の二文字を冠していても、正史準拠が基本。その史実考察の甘さによる誤りが含まれていたこと、ここに土下座します。
本筋には大きな影響がないので、この修正のために第二版(笑)を発行することはありません。
が、誤りと認識しておきながら黙っているのもアレなので、具体的な箇所を上げます。
・命が吼える 三節
「第一、孫堅の本拠地は荊州南陽郡であり、(中略)豫州各郡太守に対する影響力はほとんど持っていない」
私は忘れちまったのか……?
前巻で親指を立てながら煮えたぎる釜に沈んでいった李旻のことを……。
(そんな風には書いてない)
李旻に関しては、潁川太守であったこと、そして徐栄に捕まり煮殺されたことが記録されているだけで、
(榮遇堅於梁,與戰,破堅,生禽潁川太守李旻,亨之。『後漢書』董卓伝より)
出身地もなにもわかりません。
どのような経緯で孫堅軍に加わったのかもさっぱりです。
元から孫堅と親しかったより、袁術関係のような気がするんですけどね、何となく。
さておき、潁川の太守とはいかにも大物っぽいです。
てか歴代の潁川太守には段熲(涼州三明)とか楊彪(四世太尉)とか何進(肉屋)とか司馬雋(司馬懿のじいちゃん)とか曹褒(曹仁のじいちゃん)とか張温(銅臭司空)とか、
やたら豪華なメンツがいたようなので、やはり潁川太守であるからには大物なのでしょう。
正直、他の豫州官吏がどれほど孫堅軍閥にいたのか存じ上げません。
とにかく上記の記述は誤りです。申し訳ございませんでした。
現時点で気付いていないだけで、他にも誤りは含まれていると思います。
もし「なにこいつ何を考えて正史準拠とか嘯いてんの」というミスを発見した方がいらっしゃれば、何卒容赦なくご指摘ください。ツイッターでもメールでも。深い懺悔の中でお待ちしております。